「顧客からの暴言を受けた従業員が、会社に何もしてもらえなかった」と感じて離職するケースは、小売・飲食・コールセンターを問わず増えています。カスハラ(カスタマーハラスメント)とは、顧客や取引先などの立場を利用した、従業員に対する著しく不当な言動のことを指し、就業規則に明記することで会社の対応基準と従業員保護の両方を整備することができます。
就業規則にカスハラの定義や対応方針が書かれていないと、現場の管理職が「どこまで対応すべきか」「顧客の要求を断ってよいのか」を自己判断で決めることになります。判断がばらつくと、従業員が保護されないまま対応を継続させられたり、逆に会社として過剰に謝罪してしまったりと、対応の一貫性が保てません。
また、使用者には労働契約法第5条に基づく安全配慮義務があります。カスハラによって従業員がメンタル不調に陥った場合、就業規則や社内規程が整備されていなければ、会社が義務を果たしていたと主張しにくくなります。規定を設けることは従業員保護と同時に、会社自身を守るためにも必要な手当てです。
厚生労働省が2022年に公表した『カスタマーハラスメント対策企業マニュアル』では、カスハラ対策の柱として(1)方針の策定・周知、(2)相談窓口の整備、(3)事案発生時の対応手順、(4)発生後のフォローアップの4点を挙げています。就業規則はこの(1)に直結する基盤です。
就業規則のカスハラ規定でまず必要なのは「何がカスハラか」の定義です。曖昧なまま「不当な要求を断れる」と書いても、現場では動けません。以下のような行為類型を明示することが実務上の出発点になります。 【定義条項の記載例(服務規律への追加)】 第○条(カスタマーハラスメントへの対応方針) 会社は、顧客・取引先その他の第三者による次の各号に掲げる行為をカスタマーハラスメント(以下「カスハラ」という。)と定め、従業員がこれらの行為を受けた場合には、本条以下の規定に従い適切に対応する。 一 暴言・侮辱的言動(「馬鹿野郎」「消えろ」「クビにしてやる」などの暴言) 二 長時間・反復的なクレーム(正当な説明後も2時間を超えて繰り返す要求など) 三 土下座・謝罪の強要 四 過大・不合理な要求(無償交換・金銭補償の強要など、取引実態にそぐわないもの) 五 SNS・口コミサイトへの虚偽投稿による脅迫 六 身体的接触・ストーキング行為
この例のように「具体的な言動」と「時間の目安」を添えることで、現場担当者が「これはカスハラに該当する」と判断しやすくなります。業種によって頻出する行為が異なるため、自社の実態に合わせて類型を絞り込むことが大切です。
カスハラ関連の条項を就業規則のどこに入れるかは、規定の目的によって変わります。 (1)服務規律の章:会社の対応方針・定義を置く。「会社はカスハラから従業員を守る」という宣言的条項と行為類型の定義が入ります。 (2)安全衛生・健康管理の章:従業員がカスハラ被害を受けた場合の相談窓口・報告義務・会社の支援義務を規定します。 (3)懲戒の章(対従業員向け):従業員が第三者にカスハラ行為を行った場合の懲戒事由として列挙します(取引先や他社の顧客に対して自社従業員が加害者になるケースへの備え)。 (4)業務命令・指揮命令の章:カスハラ案件について会社が対応方針を指示する根拠条項を置くと、現場が組織的に動ける法的根拠が整います。
複数の章にまたがる場合は、「カスハラに関する詳細は第○条から第○条に定める」と相互参照条項を入れると、従業員・管理職が規程全体を把握しやすくなります。
就業規則に規定を置くだけでは機能しません。「誰が何をするか」を別途ガイドライン・手順書として整備し、就業規則と紐づけておくことが実運用のカギです。以下は一般的な対応フローの骨格です。 STEP 1【発生時の初動:従業員→管理職への即時報告】 被害を受けた従業員は、対応中または対応終了後すみやかに管理職に口頭で状況を報告します。この段階で会話録音・メモを取得しているかを確認します。 STEP 2【管理職の一次判定】 管理職は報告内容を就業規則の行為類型と照合し、カスハラに該当するかどうかを判定します。判定の目安は「正当なクレームの範囲を超えているか(目的・手段の相当性)」です。 STEP 3【会社としての対応方針決定】 (a)継続対応:改善要望として誠実に対応する。(b)担当者交代・引き上げ対応:別の担当者や管理職が引き継ぐ。(c)対応拒絶通告:書面または電話で「これ以上の対応はできない」と通知する。(d)法的措置(警察・弁護士への相談):脅迫・身体的接触が伴う場合。 STEP 4【記録・報告書の作成】 対応経緯・言動の内容・時刻・対応者・決定事項を所定の記録用紙に記入し、人事・総務に提出します。記録は後日の対応履歴・証拠として機能します。 STEP 5【フォローアップ】 被害を受けた従業員のメンタル状態を確認し、必要に応じて産業医相談・休暇取得を勧奨します。
就業規則を整備したあとの「記録の蓄積と参照」が、継続的なカスハラ対策の実効性を左右します。同一顧客から繰り返し問題が起きた場合、過去の対応履歴が手元にないと「今回が初めて」として毎回ゼロから対応するはめになります。
番頭は会社の前提(業種・従業員規模・既存の規程内容など)を登録しておくと、対応履歴の整理項目の提案、規則の該当条項の確認、次のアクションの洗い出しといった作業を補助します。たとえば「今月2回目の同一顧客からの長時間クレーム・担当者から報告あり」と入力すると、自社の就業規則の行為類型のどの号に当たりうるか、STEP 3の対応方針候補の中でどれが現実的かを整理する際の叩き台を出すことができます。法的な最終判断は専門家に委ねる前提で、「ここまで自分で整理してから相談する」という段階を効率化するのが番頭の役割です。
記録の粒度については、相手の言動・日時・対応者・会社の判断・その後の経緯の5点を最低限残しておくと、再発時や外部相談時に役立ちます。番頭上でこの項目を管理するフォームを作成しておくと、担当者が変わっても引き継ぎがスムーズになります。
カスハラ規定を作成する際に見落としがちな点をまとめます。 【過不足の確認ポイント】 ・定義が広すぎる:「著しく不当な言動」だけでは現場が判断できません。行為類型を列挙することが必要です。 ・定義が狭すぎる:「暴力のみ」と書くと、長時間拘束や脅迫に対応できません。業種の実態に合わせた幅を持たせてください。 ・対応できる者の権限が書かれていない:「管理職が対応方針を決める」ことを規程に明記しないと、現場担当者一人に負担が集中します。 ・顧客対応の打ち切り根拠がない:「対応を終了できる」という条項がないと、従業員が顧客への対応をやめることに心理的抵抗を感じます。 ・従業員への周知手段が定められていない:規定を作っても、従業員が内容を知らなければ機能しません。入社時研修・定期研修・社内イントラへの掲載などを就業規則または別規程に書き込んでください。
就業規則の変更には労働者側の意見聴取(労働基準法第90条)と所轄労働基準監督署への届出が必要です。既存の就業規則に条項を追加・変更する場合も同様の手続きが求められますので、具体的な記載内容の確定後は専門家に相談することをおすすめします。
サンプルの会社情報を覚えた状態での、回答のイメージです。数値や規程の内容は説明用の例です。 番頭の答えは一般的な情報の整理であり、個別の法的助言ではありません。
うちの会社(小売業・従業員30名)の就業規則にカスハラの条項がまだありません。どこから手をつければいいですか?
登録いただいた情報から、現在の就業規則に服務規律の章があることを確認しました。まず服務規律の章末に「カスタマーハラスメントへの対応方針」として定義条項を追加する形が整理しやすいです。小売業で頻出する行為類型(長時間クレーム・土下座要求・SNS脅迫)を優先的に列挙し、その後に報告フロー・対応終了権限の条項を続ける構成案を叩き台として出すことができます。条項の最終確認と届出手続きについては専門家にご相談ください。
同じ顧客から3回目の長時間クレームが発生しました。過去の対応記録を探したいのですが、メモが散逸していて見当たりません。
過去2回の対応が口頭メモのみで残っていない状況と理解しました。今回の対応を記録する際に「相手の言動・日時・対応者・会社の判断・その後の経緯」の5項目を記入するフォームを作成し、今回分から入力を始めることを提案します。過去分は記憶できる範囲で記入しておくと、今後の対応方針(STEP 3の対応拒絶通告の検討など)を判断する際の根拠として使えます。今回の事案がどの行為類型に当たるかの確認も、就業規則の条項と照らして整理できます。
カスハラ規定を就業規則に追加したら、懲戒規定にも何か足す必要がありますか?
カスハラ規定を追加する際、懲戒規定に「従業員が顧客・取引先に対してカスハラ行為を行った場合」を懲戒事由として列挙しておくと、自社従業員が加害者になるケースにも対応できます。また、会社側の「対応を打ち切る権限」は懲戒規定ではなく服務規律または業務命令の章に置くのが自然です。条項の配置案を整理することはできますので、確定前に専門家への確認をおすすめします。
2024年時点において、カスハラ対策を就業規則に盛り込むことを直接義務づける法律はありません。ただし、労働契約法第5条の安全配慮義務および職場環境配慮義務の観点から、使用者がカスハラ対策を何も講じないことは義務不履行と判断されるリスクがあります。厚生労働省のマニュアルでは対策の実施を強く推奨しており、東京都は2024年4月施行の「カスタマーハラスメント防止条例」で事業者の対策努力義務を定めています。業種・地域によっては実質的な対応が求められる状況です。
法改正や社会的な事例の変化に合わせて、少なくとも1〜2年に一度の確認をおすすめします。また、実際にカスハラ事案が発生した際には対応フローの妥当性を検証し、不足があれば随時改訂してください。就業規則の変更には労働基準法第90条に基づく労働者側への意見聴取と労働基準監督署への届出が必要です。
番頭は一般的な情報提供と社内整理の補助を行うツールであり、就業規則の作成代行や個別の法的助言は提供していません。規定の叩き台を作成したり対応フローを整理したりする際の補助として活用いただき、最終的な規程の確認・届出については専門家にご相談ください。
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